こんにちは。アヤです。
社員旅行でプラハ→ザルツブルグ→ウィーンと行ってきました。
みぽさんの御好意で、こちらのHPでレポさせていただけることになりました。
よろしくお願いします。
2002.11.14〜19の旅でした。

***

初日は関西空港からウィーンへ。そこから小型機でプラハに向かいました。
プラハ観光の次の日、モーツァルトでいっぱいのザルツブルグを経て、音楽の都ウィーンへ。

ウィーンはすごい。街の至る所に歴史的な建物が立ち並んでいます。
歴史的人物の銅像も非常に多い。文化的な伝統深い都です。
夜にウィーン入りしたので、初日はまずホテルへ。
私たちが泊まったのは街の外れにあるヒルトン・ヴィエナ・ダニューブでした(ヴィエナ、ダニューブはそれぞれ英語でウィーン、ドナウ川の意)。
町中のヒルトンとはまた違うホテルですが、部屋は広くてとてもきれいでした。

ホテルに着いて30分後、バスで早速、夕食に連れて行かれました。
ホイリゲと言って、ウィーンの伝統料理を出す居酒屋です。白ワインがピッチャーでどんどん運ばれてきました。口当たりがよく、さっぱりとしたワインです。パンとサラダが食べ放題。前菜がサーモンと鱒で、メインにはじゃがいもとソーセージ、鶏肉、豚肉などの素朴な料理が山盛りでした。ヴァイオリン、アコーディオンの生演奏付きです。店内に花売りまでやってきました。

次の日の朝、観光開始です。私たちは基本的に全てバスで廻りました。
始めに行ったのが王宮に面した英雄広場でした。
ここには英雄達の像が様々な大きさで並んでいます。入って右側すぐのバルコニーがヒトラーの演説したバルコニーだとか。色んな歴史を感じさせます。
旧王宮の中で、公開されている部屋を順番に見てまわりましたが、どの部屋も豪奢で、本当にこんなところに住んでいて気が休まるのか不思議でした。ガイドさんはヨーゼフ一世とシシイ(皇妃エリザベート)のことを「明治の皇帝夫婦」と表現しておられました。彼らが使ったという朝食の間が残っていました。意外と狭い小部屋です。

続いて前栽の池が鏡のようにきれいなベルベデーレ宮殿。美しい眺め≠ニいう意味の離宮だそうですが、ほんとうに清楚で美しかったです。中には入りませんでした。

次に市街地の細い小路を通り抜け、シュテファン寺院へ。
まず外観に圧倒されます。高い塔は厳かに天を目指しています。
日曜日の午前中だったので、中ではちょうど本物のミサが行われていました。儀式の次第はわからないのですが、荘厳極まりありません。
実家がお寺という私の同僚は思わず改宗しそうになっていました(笑)。

そして日曜日でお店が閉まっているせいか、妙にひっそりとしたケルントナー通りを歩きます。
ここでもよく見るのがモーツァルトチョコ。ザルツブルグ以来、一体何回この顔を見たでしょう。

昼食をダニエルという名のレストランでとります。
オーストリアではメインに必ずと言っていいほどじゃがいもがついてきます。ここでも肉とじゃがいもを食べました。デザートに、日本語に訳してチーズだんご≠ネるものが出たのですが、チーズくささはまったくなく、かための蒸しパンのようなものでした。それをジャムソースにからめて食べます。こちらの伝統料理の一つだそうです。

午後はシェーンブルン宮殿へ。
マリアテレジア・イエローの外壁がとてもかわいいです。ここでのお土産もの屋さんには、シシイチョコがありました。モーツァルトチョコに対抗しているのかもしれません。ガイドさんの説明でもオーストリア人は甘いもの好きということでしたが、ほんとうにチョコレートの多い国です。

それからベートーベンハウスと彼が歩いたという小径へ行きました。
このあたりは今も閑静な住宅街のようです。ベートーベンは生涯で80回以上も引っ越しをしたそうで、私たちが訪れた家以外にも、ベートーベンが住んだ家というのが町中にありました。重要な文化財にはWをかたどるように4本の赤白旗がさしてあるので目印になります。
その後、ウィーンの森へ登ります。頂上からは市街が見下ろせました。

そして、今回の旅行のメインイベント、オペラ観賞の時間がやってまいりました。
演目は『イエヌーファ』。主人公が未婚で出産し、顔を切られたり、赤ちゃんを殺されたりと凄惨な話ですが、最後は一応ハッピーエンドです。席に付いている小さなモニターの英語字幕を見ながら観劇しました。そして指揮者は、世界の小沢征爾です!
すごい、すごかったです。
端役もいれて100人は登場し、歌い、演奏するだろうというこの舞台の、全ての総監督をしているのが日本人の小沢征爾なのです。
伝統あるこの国で、日本人が指揮者としてこの舞台に立つことは並々ならぬことだと感じました。

さて、開幕です。舞台のセットは思ったよりも現代的でした。小沢さんの指揮は躍動感に溢れ、本当によかったです。小沢さんのおかげもあってオペラ全体としては感動はできたけれども、モニター見て、舞台見て、オーケストラと指揮を見るというのはややせわしなかったです。でもやはり大変素晴らしかったので、カーテンが降りてからは何度も何度も拍手しました。
私たちは昼間に観光もあるし、動きやすい格好で出てくるように言われたのですが、オペラ座でスニーカーはさすがにちょっと恥ずかしかったです。色んな国の人が色んな格好で来ているので気にすることないようですが、きちんとした身なりの現地のマダム達も大勢いらしていました。なんでも幕間休憩用の「衣装見せ部屋」なるものがあるとか。昔の社交界の名残のようです。今度はちゃんとオペラ座に敬意を表した格好で来たいな、と思い、この日の夜は終わりました。

次の日の早朝、外は折からの雨でしたが、社員旅行で自由行動のできる時間がなかった私たちは有志を募って、5時半から外出しました。
まずホテル近くの駅から路面電車に乗ります。
こんな朝早くになぜか小さな子どもが乗っていたりします。
シュヴェーデンプラッツに着いてからはあてどなく歩きました。小路を歩いていると、昨日訪れたシュテファン寺院にたどり着きました。
昨日は見れなかった裏側や、修復中の工事現場を見ます。
雨が細かくなってきたところで休憩のため、カフェ・アイーダへ。前日にガイドさんに「ハイネ」というカフェがおいしいときいており、その「ハイネ」の前まで行けたのですが、時間が早すぎて閉まっていました。

アイーダでしばらくのんびりした後、曇り空の下をオペラ座に向かって歩きます。
ホテル・ザッハーにたどり着いたところで、今度は地下鉄で帰ることにしました。地下鉄は大人一人1.75ユーロでした。月曜の朝なので人が多いです。ところが、ウィーンの人たちは寿司詰め状態で満員電車に乗ったりしません。駆け込み乗車もしません。みんな諦めが早いのです。乗ろうと思っていた電車が満員だと、無理に乗ろうとせずに次の列車が来るのを待つようです。降車ものんびりしたもので、目当ての駅で降りられなかったおじさんもいました。もう一度引き返して来るのでしょうか、とにかく走って降りたりしないようです。ショッテンリンクに着いてからは、行きと同じ路面電車でホテルに帰りました。そしてみんなと合流し、バスで空港へ。これで私のウィーン旅行は終わりました。

シュテファン寺院近くの小路のお菓子屋さんのショーウィンドウ


それと、おまけとして、最後は簡単に初日のプラハ。
当初はウィーンのことだけ書こうと思っていたのですが、プラハも書きます。
なぜかというと、王宮の衛兵さんがあまりにもかっこよかったからです。金髪、長身、18歳、制服…まるで作り物です。
衛兵さん達は王宮の入り口の箱の中に立っていて、原則として動いてはいけないそうです。確かに基本的には直立不動の、お人形のような衛兵さん。チェコでは徴兵制があり、それで集められた人の中から衛兵役が選ばれるそうです。私は見とれ過ぎて、帽子を落としてしまいました。同僚に「きっと衛兵さんが拾ってくれてるよ」となぐさめられる私。

さて、宮殿の中にはいると、そこには噴水の広場や寺院が。寺院は荘厳すぎて圧巻です。
プラハ城は、城全体が街のようになっていて宮殿の敷地内にいろんな建物がありました。
城内を旧市街地へ抜け、歩きます。街の中には至る所に聖人の像があります。宗教信仰の強い国です。道行く車はみなわりと小型でした。マルセデス(日本語のメルセデス・ベンツ)多し。流石はヨーロッパです。ガイドさんからはスリが多いので十分注意するよう何度も言われました。寒さとスリの多さ(多いらしい)には辟易です。街で見かけた旅行者にはフランス系の団体が多かったです。どこへ行っても意外なくらい英語が通じました。観光地の人は観光客慣れしているせいかもしれませんが。

さて昼食はチェコ料理。メインは肉をクリーミィーに煮たようなものに、かための蒸しパンが添えられています。実はこれ、蒸しパンではなく「茹でパン」だそうです。大人数で行ったせいか、同じ飲み物を頼んでいても、テーブルによってグラスの大きさがまちまちだったりします。あとでザルツブルグに行ったとき、クロスグリジュースを頼んだ人のところに、足りなくなったのか、ブラックチェリージュースがきたりと、飲み物には適当な地域のようです。

今回の旅行は大変楽しかったのですが、社員旅行ということもあり、旅程が毎日ぎっしりで自由時間が少ないのが難点でした。私はエゴン・シーレー好きなので、美術品を見れなかったことが残念でなりません。あと、カフェも2・3軒は行きたかったです。
また機会があればゆっくり訪れたいウィーンの街でした。

※1ユーロ=126円(2002/11)

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